2010年01月29日

神の道をもっと正確に教える

さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。この人は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった。彼は会堂で大胆に語り始めた。それをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招きいれ、さらに詳しく神の道を解き聞かせた。(使徒18:24〜26、口語訳)
使徒の働きの中に、伝道者アポロに関する短いエピソードが記されています。アポロはエペソ、次いでコリントで伝道の働きをしました。アポロの入信や献身の経緯は不明ですし、彼を送り出した教会も不明ですが、彼にも伝道者としての志と知識と力があったことは確かです。アポロの雄弁さは彼の能力と教養を表すのでしょう。そして霊に燃え、感情表現も豊かな人物でありました。

アポロはエペソでイエスさまのことを語っていました。彼が言うことに嘘はなかったようですが、ただ重要な教えが欠けていました。「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」とあります。これはバプテスマに関して、「イエスの名によるバプテスマ」(19:5)を知らなかった、ということでしょう。彼が具体的にどういう理解をしていたのか、またどういうふうに語っていたのかはそこには書かれておりませんので想像するしかありません。ヨハネのバプテスマは悔い改めが強調されるのに対して、イエスの名によるバプテスマは、神の子とされる恵みが強調されると言えるでしょう。またイエスの名によるバプテスマには賜物としての聖霊が与えられることが伴います。19:2にはそのことが問題となったことが記されています。キリスト論、聖霊論、礼典論に関して、重要な欠落があったかも知れません。アポロのメッセージは、普通のクリスチャンが聞けばかなり違和感を感じる内容だったと思われます。会堂でアポロの話す内容を聞いていたプリスキラとアクラにとって、見過ごすことのできないメッセージ内容でありました。彼らはアポロを(おそらく自宅に)招いて、アポロが知っているよりももっと正確に(詳しく)教えました。プリスキラとアクラに教わって、アポロはもっと力強く聖書から語ることができ、それは教会にとっても大きな力となっていきました。

クリスチャンが互いの欠けを負い合うということは非常に大切なことです。もしアポロが己の立場や知識に高ぶって、プリスキラとアクラから教わることを拒んだのなら、彼には成長することができなかったでしょうし、その後に用いられることもなかったでしょう。そういう意味で、伝道者アポロがプリスキラとアクラを見下さず謙遜にその教えを聞いたことはとてもよいことでありました。またプリスキラとアクラも、伝道者に教えることをためらったり、見過ごしたりせずに、アポロに教えたことはよいことでありました。そして彼らが会堂で会衆の面前でアポロの欠けをなじったりせず、個人的に招いて教えたことは、やり方としても丁寧でありました。

もしアポロも、プリスキラとアクラも、自分たちのメンツや立場だけを考えていたなら、決してこんなことはできなかったでしょう。しかし両者とも、自分たちのことよりも主の宣教のことを考えていたことでしょうし、それが信徒が伝道者に教えることを可能にしたのでしょう。そしてそこに神の御心があり、聖霊のお力添えがあったのでしょう。

この箇所は今日の私達にとっても通じるエピソードとなります。とかく教えたがる人は、逆に人から教えられたり、忠告されることが苦手になりがちです。教える人こそ謙虚でありたいものです。また信徒が伝道者の語る内容の過ちを忠告するに際して、変な遠慮や罪意識を持つ必要はないでしょう。むろん程度の問題もありますし、また忠告の仕方も在るでしょう。それはこの箇所から学ぶことができます。伝道者に限ったことではなく、互いの事柄として、この箇所に学びたいものです。そして伝道者を育てていくのも教会の働きであることを覚えて、私達の祈りといたしましょう。

(1/27水曜祈祷会より)
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2010年01月27日

神の御心なら

「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってこよう」と言って、別れを告げ、エペソから船出した。」(使徒18:21、口語訳)

パウロは第二次伝道旅行の後半で小アジアのエペソを訪問し、ユダヤ人の会堂に行って御言葉を宣べました。そしてカイザリヤ港に向けてエペソから船出しました。このときのエペソ滞在期間はとても短かったようです。人々はもうしばらく留まって欲しいと引き止めましたが、パウロは「神の御心なら、再び戻ってくる」と言って留まらずに出発しました。このときパウロが言った「神の御心なら」という言葉とその信仰について、学んでみましょう。

そもそもパウロは、今回の第二次伝道旅行において、当初からエペソに行く予定であったと思われます。16:6に「パウロはアジアで御言葉を語ろう」としていたことが書かれておりますけれども、アジアとはローマの属州アジア州のことで、エペソはそのアジア州の首府でありました。エペソは政治的にも経済的にも大変重要な町でした。そしてそこにはユダヤ人が多く住み、会堂(シナゴーグ)もありました。16:6で「パウロはアジアで御言葉を語ろう」とした、その念頭にエペソがあったことはほぼ間違いないと見てよいでしょう。

パウロがアジア州(エペソ)に行こうとしたのは、自己実現のためでもありませんし、まして遊び目的でもありませんでした。それは主の宣教のためでした。そしてそれは「地の果てまでイエスの証人となる」という主の宣言(1:8)や「イエスの名を異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ」という召命(9:15)に適ったものでした。つまり、パウロのエペソ行きは御心に適ったことであると言えます。

しかし御心に適ったことではありながらも、パウロはエペソに直接行こうとしたにもかかわらず、道は閉ざされてしまいました。具体的に何があったかは書かれておりませんが、聖霊によって禁じられたとあります。パウロはそのときはアジア行きを断念し、幻に導かれるままに、マケドニアに渡りました。そしてピリピ、テサロニケ、ベレヤ、アテネ、コリントを訪れ、ようやくエペソに来ることができました。ずいぶん遠回りをしたけれども、やはり御心は実現したのです。その遠回りによってギリシャ地方にも教会が誕生し、またルデヤやアクラとプリスキラたちとの出会いもありました。遠回りの意味もあったわけです。

こういう道中を振り返りながら、パウロは「御心の道は必ず開かれる」という確信を深めたことでしょう。パウロは「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言ったその意味は、来れるか来れないか分からないといった意味ではなくて、むしろ「御心なのだから、きっと戻ってくることができるに違いない」という確信に満ちた言葉だったと思われます。実際この後それほど間を空けずに、パウロはエペソに再び戻ってきましたから(19:1)、パウロの言ったとおりになったわけです。もちろんパウロはそうなることを分かっていたわけではないでしょうけれども、しかし神の御心なら神に委ねて従う結果として、必ずやそうなるという確信へと導かれていたことは間違いないでしょう。だからパウロは一旦はエペソを離れてエルサレムに行くことを決断できたのでしょう。

さて、こういうことから私達もまた「御心なら」という信仰のあり方を学びたいものです。私達も将来のことは分かりません。不確実なことです。自分の思い通りになるとは限りません。そういうとき、しばしば口癖のように「御心なら」と言ってしまうかもしれません。けれども「御心なら」というのは、そういう不確かさの表明を表すことではないのです。むしろ神のご意志に沿っていることなのかどうか、ということをまず求めることから初めて、そしてもしこれが、神の御心に適っていることならば、きっと神は道を開いてくださる、と確信することができるのです。たとえ遠回りしたとしても、きっと道は開かれるでしょう。そしてその遠回りでさえも意味のあることなのです。「御心なら」というとき、それは希望と確信に満ちたものとなるはずです。

ここで主イエスのお姿を思い出しましょう。主は十字架を目前にして「あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈られました。(マルコ14:36)。御心を求め、御心に従おうというときにこそ、信仰の生かしどころであります。私達もこのような主イエスの御霊が与えられていることを信じて、キリストのお姿にならってまいりましょう。

繰り返しますが、パウロの個人的な人生設計が御心かどうか、ということを言っているのではないことに注意しなければなりません。ですからこの箇所を、「自己実現の目標を達成するまで諦めない」というふうに適用することではないのです。自己中心さの隠れ蓑として「御心」という言葉が使われやすいだけに、注意しなければなりません。いかにも信仰的な表現をしながら、実態は自分のずるさを温存しているだけ、という誘惑は誰にでもあります。しかしそれは「御心」に対して最もふさわしくない応答でしょう。私達は神の御心がなんであるかを聖書を通して教えられつつ、主を信じ、委ねつつ、主の御心に従っていきたいものであります。祈りましょう。

(1/20水曜祈祷会より)
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2008年12月13日

島崎藤村の「しあわせ」

12月20日(土)10時からこどもクリスマス会を行います。その中で島崎藤村の童話『しあわせ』の寸劇をします。

幸福(しあわせ)

『しあわせ』がいろいろな家へ訪ねて行きました。
誰でも幸せの欲しくない人はありませんから、どこの家を訪ねましても、みんな大喜びで迎えてくれるに違いありません。
けれども、それでは人の心がよく分かりません。
そこで『しあわせ』は貧しい貧しい乞食のようななりをしました。
誰か聞いたら、自分は『しあわせ』だと言わずに『貧乏』だと言うつもりでした。
そんな貧しいなりをしていても、それでも自分をよく迎えてくれる人がありましたら、その人のところへ幸せを分けて置いて来るつもりでした。

この『しあわせ』がいろいろな家へ訪ねて行きますと、犬の飼ってある家がありました。その家の前へ行って『しあわせ』が立ちました。
そこの家の人は『しあわせ』が来たとは知りませんから、貧しい貧しい乞食のような者が家の前に居るのを見て、
『お前さんは誰ですか。』と尋ねました。
『わたしは「貧乏」でございます。』
『ああ、「貧乏」か。「貧乏」はうちじゃお断りだ。』と、そこの家の人は戸をピシャンと閉めてしまいました。
おまけに、そこの家に飼ってある犬が恐ろしい声で追い立てるように鳴きました。

『しあわせ』は早速ご免をこうむりまして、今度はニワトリの飼ってある家の前へ行って立ちました。
そこの家の人も『しあわせ』が来たとは知らなかったと見えて、嫌なものでも家の前に立ったように顔をしかめて、
『お前さんは誰ですか。』と尋ねました。
『わたしは「貧乏」でございます。』
『ああ、「貧乏」か、「貧乏」はうちじゃ沢山だ。』とそこの家の人は深いため息をつきました。
それから飼ってあるニワトリに気を付けました。
貧しい貧しい乞食のような者が来てニワトリを盗んで行きはしないかと思ったのでしょう。
『コッ、コッ、コッ、コッ。』とそこの家のニワトリは用心深い声を出して鳴きました。

『しあわせ』はまたそこの家でもご免をこうむりまして、今度はウサギの飼ってある家の前へ行って立ちました。
『お前さんは誰ですか。』
『わたしは「貧乏」でございます。』
『ああ、「貧乏」か。』と言いましたが、そこの家の人が出て見ると、貧しい貧しい乞食のような者が表に立っていました。
そこの家の人も『しあわせ』が来たとは知らないようでしたが、情けというものが有ると見えて、台所の方からおむすびを一つ握って来て、
『さあ、これをお上がり。』と言ってくれました。
そこの家の人は、黄色い沢庵のおこうこまでそのおむすびに添えてくれました。
『グウ、グウ、グウ、グウ。』とウサギは高いいびきをかいて、さも楽しそうに昼寝をしていました。
『しあわせ』にはそこの家の人の心がよく分かりました。
おむすび一つ、沢庵一切れにも、人の心の奥は知れるものです。
それをうれしく思いまして、そのウサギの飼ってある家へ幸せを分けて置いて来ました。

(島崎藤村『をさなものがたり』より「幸福」)
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2007年06月27日

祈りのポーズ

キリスト教の「祈りのポーズ」といえば、「手を組む(五指を交互に組む)」のが一般的のようです。しかしながら、もともとはそうでありませんでした。いつ頃から「手を組む」ポーズをとるようになったのか、絵画からその変遷を調べてみました。

1.オランス
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↑3世紀ローマのプリスキラのカタコンベ「ヴェラティオの墓室」に描かれたリュネット(半月型壁画)のフレスコ画。
Catacomb of Priscilla, Crypt of "Velatio virginis", lunette above a tomb.

参照:ドミニオン通信 カタコンベ壁画(オランス像)

他に、Orante (Orans) as Early Christian SymbolOrans in the Catacomb in Via Anapo, Rome, from the middle of the 3rd Century AD.を参照。

 手を上に上げて(そしてしばしば目を天に向けて)祈るポーズ。「オランス」とはラテン語の「祈り oratio (オラショ)」から。

新約時代や古代キリスト教会における(そしておそらく旧約時代においても)一般的な祈りのポーズだったのでしょう。現在でもオランスの姿勢で祈ることはあります。
「きよい手を上げて祈るように...」(1テモテ2:8)。


2.合掌
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↑デューラーの「祈りの手」(1508年、ドイツ)
デューラーについてはwikipediaのアルブレヒト・デューラーを参照。なお時代は宗教改革期と重なっているので、ルターやカルヴァンらも、合掌していたと考えられます。

合掌は仏教やその他の宗教・習俗にも見られるように、おそらく祈る思いを表すのにもっとも自然な姿勢なのでしょう。

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ヒューホー・ファン・デル・フース(Hugo van del Goes)の三連画「ポルティナリの祭壇画」の中央「キリストの降誕」(1475年、オランダ)。


3.揉み手
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シャルル・ナトワール(Charles Joseph Natoire)の"The Expulsion from Paradise"(1740年、フランス)。
アダムが揉み手をしている。

右手と左手を90度ずらして、掌(てのひら)同士を合わせて手を組む型。ゴマすりの揉み手(もみて)に似ています。揉み手をしたくなるように、切なる祈りの気持ちを表しているのでしょう。

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フランソワ・ジェラール(Francois Gerard)の「聖テレサ」(1827年、フランス)。

画の女性(聖テレサ)が揉み手で祈っている。


4.手を組む(五指を交互に組む)
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レンブラントの「トビトとアンナ」(1626年、オランダ)。
調べた限りで、この絵が手を組む(五指を交互に組む)型としては最初期のものでした。

願いを込めるとこのような姿勢になるのでしょう。おそらく現在もっとも普及した祈りの姿勢なのでしょう。


最後に。
祈りのポーズには色々な型がありますし、どのような型であってもよいと思います。キリスト教だから、必ず「手を組む(五指を交互に組む)」でなければならない、ということもありません。また、合掌したからといって、即それが偶像崇拝だということもありません。

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2006年12月22日

光はやみの中に輝いている

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光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)
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2006年11月23日

自己からの解放(『マザー・テレサの祈り』より)

主よ、私は信じきっていました
私の心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて
本音に気づかされました。
私が愛していたのは他人ではなく
他人の中に自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

『マザー・テレサの祈り』(石川康輔訳、ドン・ボスコ社、1992年第1版、2000年第2版)より。

ただキリストをおもう
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2006年11月12日

永遠のいのち(2006.11.8)



「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16」

永遠のいのち。神がキリストを通して聖霊によって永遠の命を私たちにお与えになる。
これが最後の賜物であり、最後の信仰箇条です。最後だからと言って付け足しではありません。むしろこの事のために全てが約束されている(ウルジヌス)と言ってよいでしょう。
ところで「永遠のいのち」というのは分かりそうで案外分かりにくいなと思ったことはないでしょうか。いつまでも長生きをすることと何が違うのでしょうか。

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