2020年06月07日

人は生まれ変われる(ヨハネ3:1〜15)

2020年6月7日 三位一体主日礼拝




1 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。9 ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。10 イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。11 よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。12 わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。13 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。14 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。
(口語訳。礼拝では新改訳2017)

本日は聖霊降臨日、ペンテコステの礼拝を主に献げています。

「イエス・キリストを信じる者は、誰でも新しく生まれ変わることができる」私たちはこの恵みの中に生かされています。

イエスはニコデモに「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われました。

「神の国」とは神が支配される世界のことです。月並みに表現すれば「理想の世界」と言えましょうか。もっとも、人間が理想の世界を作ろうとすると大抵、地獄のような世界になるものです。

その頃ユダヤの国はローマ帝国の支配下にありました。ローマからすればローマが支配する世界こそ理想の世界と考えたかもしれませんが、支配されるユダヤ側からすれば暗闇の世界でしかありません。

当時のユダヤの国はローマ帝国に武力で脅され、搾取されていました。ユダヤの指導者はローマの顔色ばかりを気にし、地方では反乱や暴動が度々起こりました。農作物は荒らされ、職を失い、多くの人が病に苦しみ、生活は荒れ果て、社会は分断され、希望を失っていました。形こそ違え、今の世界と重なるところもあります。
ニコデモはこの国の議員として、この国の行く末を案じ「一日も早く神の国が来るように」と祈り「神の国をこの目で見たい」と願っていたはずです。

ニコデモにとっては、新しく生まれることには関心は無くても、「神の国」には強い関心、おそらく最大の関心がありました。

パリサイ人であるニコデモは、皆が律法を守れば神の国が見られるとずっと考えていたことでしょう。しかし最近はそのことに限界と疑問を感じ、イエスのもとに行けば何か答えが得られると思って訪ねてきたのかもしれません。
しかし、新しく生まれることに関心の無いニコデモにとって、「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」とイエスに言われても、「もう一度母親のおなかに入って生まれるわけでもあるまいし」と、腑に落ちません。
ニコデモにとって、新しく生まれることと神の国が結びつかないのです。皆さんはどうでしょうか。

しかし新しく生まれることも神の国もつながっています。それは「すべてのことは神から始まる」ということです。
「新しく生まれる」とは、「上から」すなわち「神によって変えられる」ということです。自分の力によって達成するものではありません。

神の国は神の力によってなるのです。一方で私たちは自分の力によって理想の世界を作ろうと考え、理想の自分になろうと考えがちです。もちろん善い志を立て、正義をなし、愛を行い、誠実に生きようと努力することは尊いことであり大切なことです。それが否定されてよいわけではありません。しかし自分の力には限界があります。というより、本来神によってなされることを人間の力によってできると考えること自体が的外れなのです。
そんな的外れな私たちをも神は愛し、イエス・キリストを通し、聖霊によって私たちを新しく生まれ変わらせてくださいます。人が新しく生まれるのも、神の国が到来するのも、ただ神によるのです。

私たちは何をすればよいのでしょうか。何もしなくてよいのです。ただ神を信じるだけでよいのです。そのとき私たちは聖霊によって、新しく変えられるのです。それがイエスの教える恵みの道です。

聖霊が、いつ、どこで、どのように働かれるのか、私たちには予想もできません。それはまるで風のようです。風は目には見えません。しかし風が吹けば音が聞こえ、木々の葉が揺れるのが見え、皮膚で感じます。そのように神の働きは見えなくとも、働きの結果はわかります。神を信じる者がいつ、どこで、どのように生まれ変わるかはわかりませんが、誰でも必ずそうなるのであり、その変化はわかるのです。

神が人となって世に来られました。それがキリストです。キリストは私たちの罪を背負って十字架にかけられ、よみがえられ、天に上げられました。民数記21章にあるように、神に背を向け毒蛇にかまれた者が、青銅の蛇を仰ぎ見ることによって救われたように、私たちもキリストを仰ぎ見ることで救われるのです。自分の抱える問題からいったん目を離し、天を見上げ、すべてを神に委ねるのです。それが神を信じるということです。ただ神を信じること。そうすれば新しく生まれ変わるのです。

私たちがこの世界で善いことをなそうと努力するのは、それが救われる手段だからではなく、ただ神への感謝と献身の思いだからです。
神を信頼し、すべてのことが神から始まると信じる者の中に聖霊の風が吹き、聖霊の炎が燃えるのです。こうして新しく生まれ変わった人々を神は用い、この世界を新しくされようとしておられます。
そしてキリストを信じる者が地上での生を終えた後も、新しく生まれ変わった者として、神のみもとに招いてくださいます。そうしていつの日か本当に新しい世界に生まれ変わるとき、先に召された者たちは新しい体をもって復活し、新しい世界を共に喜ぶのです。

キリストを信じる者は新しく生まれ変われる。
その恵みの道を今週も歩んで参りましょう。


posted by 管理人 at 00:00| Comment(0) | 礼拝説教 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。