2020年03月01日

諦めずに祈る(ルカ11:5〜13)

2020年3月1日 四旬節第1主日礼拝

5 そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。6 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、7 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。8 しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。11 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」
(口語訳。礼拝では新改訳2017)


あなたは今何か、諦めかけていることはないか。
もう諦めてしまったことはないか。
主イエスは教えてくださった。

諦めないで、友だちにしつこく求めたら、友だちは応えてくれた(5〜8節)。
人間でさえ、こうである。
それならなおのこと(13節)、神は私たちの祈りに応えてくださるのだ、と。

だからイエスは私たちに「諦めるな」と呼びかけている。
諦めないで求め続けよ。そうすれば与えられる。
諦めないで探し続けよ。そうすれば見つかる。
諦めないで叩き続けよ。そうすれば開かれる。
諦めるなと。

ではなぜ、得られないのか。なぜ見つからないのか。なぜ閉ざされたままなのか。
それは神の時がある(伝道者3:11)。
その時は私たちにはわからない。
しかし神はよい時によいものを与えてくださる。
だから諦めるな。時を待て。忍耐せよ。諦めないでもう一度続けよ。
そう主は、いま私たちに語りかけておられる。

わかる。
しかし私たちは諦めてしまいやすい。
だからこそ、私たちに必要なのは「諦めない力」である。
これは上から来る力である。
聖霊の力である。
私たちには聖霊が共におられる(13節)。
聖霊が私たちに諦めない力を与えてくださる。
信じよう。私には神がついておられると。
だから私は諦めないと。信じよう。

私たちは人生の中で、うまくいかないことがあると、「もう何をやっても無駄」と結論を決めつけてしまう。
しかし結論を出すのは早い。結論を急がないで、すべてのことを神に委ねよう。
そしてもう一度挑戦しよう。
それが神の前を誠実に生きることである。

人生を諦めるな。
あなたにはまだやるべきことがある。
それを続けよ。
主は今、私たちに呼びかけておられる。

主イエスは最後まで諦めなかった。それが十字架の道であった。それが私たちの救いとなった。
神は最後まで諦めなかった。それが復活の出来事だった。
私たちがくじけても、主は決して諦めない。だからこそ私たちは諦めないで神を求め続けられる。
祈ろう。


posted by 管理人 at 00:00| Comment(0) | 礼拝説教 | 更新情報をチェックする
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