2009年12月06日

伝道者の書3:1〜11「時を待つ」(2009.12.6待降節第2主日)



1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
9 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
10 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
(伝道3:1〜11、口語訳聖書※)


主の来臨(アドベント)を待ち望む、とは、神の時を待つ、ということでもある。神の時を待つことは信仰生活にとって不可欠な態度である。

何事にも時がある(1節)。人生には良い時があり、悪い時がある(2〜8節)。良い時が永遠に続くことはなく、また悪い時が永遠に続くこともない。そのことを我々は経験的に知っている。しかし悪い時の最中にはそう思えないかもしれない。しかし神の時を待つべきである。

人間の悩みのほとんどは、時が来れば解決することばかりである。自分のイメージどおりではないとしても、なんであれそれが解決である。時が来ないうちに勝手に悩んでは希望を失ったり、落ち込んだりするのは無用の心配である(マタイ6:34)。時が来れば神は最善を成してくださる。そう信じて一切を主に委ねるべきである。

真夜中は暗いが、朝になれば日は昇るようなものである。真夜中に「暗い、暗い、早く明るくなれ」と願っても、日出の時刻にならなければ明るくはならない。しかし日出の時刻になれば、自ずと明るくなるのである。また真冬は寒いが春になれば暖かくなるようなものである。真冬に「寒い、寒い、早く暖かくなれ」と願っても、春にならなければ暖かくはならない。しかし春になれば自ずと暖かくなるのである。何事も時が来れば解決する。神が時を支配しているからである。だから明日のことは憂うのではなく、明日のことは期待して待っていればよいのである。

何事にも時があるということを忘れると、焦ったり、イライラしたりして、体の調子まで崩してしまう。そして時が来る前に、早々と諦めたりしてしまう。しかし真夜中に日が昇らないからといって焦る人はいない。真冬に春が来ないからといって諦める人間はいない。そのように、何事にも時があるということが分かれば落ち着ける。

何事にも時があるということは、何事も自分の願いどおりに起こることはない、ということでもある。事が起こらないなら、「今はまだ時ではない」と悟ればよいのである。
「赤子が泣いても蓋とるな」。焦ったり、イライラしたり、自分の体調を崩したり、人間関係までおかしくする必要はない。ただ神の時を待てばよい。時が来れば自ずと解決する。だから神を信ぜよ。神に希望を置け。希望を持って過ごせ。

「時を待つ」ということは、「その時に備える」ということでもある。何事もすぐには身につかない。最初から難しい方程式は解けない。最初はまず「1つ、2つ」と数の数え方から習うのである。そのように、明日の課題に取り組むためには、今は基礎に取り組むことが不可欠なのである。「時を待つ」とは、何もしないのではなく、明日のためにこつこつと備えることである。

朝になったら動けるように、夜は力を蓄えておく時である。春になったら活動できるように、冬の間は力を蓄えておく時である。そのように、悪い時は悪い時なりの過ごし方がある。今なすべきことはありきたりの、つまらないかもしれないが、しかしその小さな1つ1つの積み重ねが将来に花開くのである。今していることの意味は今は分からないかもしれないが、時が来ればその意味がわかる。だから勝手に決め付けて、諦めたり、逃げ出したりしないでじっくりと取り組んでいきたいものである。

明日に備えるために、明日のことを心配するのは生産的な心配である。しかし何の備えもせずただ悩むだけの心配は生産的ではない。悲観せず、神を信じ、感謝と謙虚な思いで、そして他人と自分を比べることをせず、今はひたすらに祈り、なすべき務めを果たせばよいのである。

その時が来れば、「神のなさることはすべて時にかなって美しい」(11節)と言えるだろう。そんな日が来ることを心待ちにしながら、今は神を信じて生きていこう。



伊那聖書教会では礼拝諸集会において「新改訳聖書第3版」(日本聖書刊行会、2004年)を使用しています。ブログ上では口語訳聖書(著作権保護期間の50年が満了してパブリックドメインに入った)から引用いたします。あくまでもブログ上のことです。読者の皆様のご理解を願います。

なお音源はSound-Juke.comのSN-00988「夢の呼吸」より
利用許諾番号:S20091206223813001(株式会社テクニカル)
posted by 管理人 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 礼拝説教 | 更新情報をチェックする
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