2008年11月22日

賜物を用いて(2008.11.16聖霊降臨節第27主日)

ゼパニヤ書1:7、12〜18、テサロニケ人への手紙第一5:1〜11、マタイの福音書25:14〜30

0.たとえ話の解釈:
前回イエスのたとえ話の読み方について説明したが、今回もたとえ話の読み方について、若干説明を加えたい。

イエスは、まれに地上の悪い事例から信仰のヒントを教えることがある。それは決して悪を奨めているわけではない。たとえばイエスは、戦争のやり方から信仰を教えている(ルカ14:32)。また不正な管理人(ルカ16:8)や不正な裁判官(ルカ18:6)から信仰を教えている。だからといってイエスは戦争や不正を奨励しているわけではない。だからたとえ話の聞き方に注意しなければならない。

「富める者はますます富む」というのは、今まさに社会問題になっている、弱肉強食の過酷な競争社会、すさまじい格差社会のひどい話である。金持ちが富の力に任せてますます力を得、持たざる者はいよいよ困窮して行く。それは今も2000年前も同様であった。イエスはこういう過酷な格差社会を奨励しているわけではない。この点について以前ルカ19章の「ミナのたとえ」でも取り扱った。今日は時間の関係で「ミナのたとえ」については説明しない(なお、ルカ伝のミナのたとえとマタイ伝のタラントのたとえは、似ているようだが、両者の違いはかなり大きい。両者はそれぞれ別の機会に話された別の話と考えるほうがすっきりする。中澤啓介『マタイの福音書註解(下)』参照)。イエスはこの世の能力主義や格差社会をヒントに信仰のあり方を教えているのであって、能力主義や格差社会を是認しているわけではない。というのは、このたとえに続いて「最も小さい者たち」に対する行いをイエスは奨励しているからである(マタイ25:40)。「最も小さい者たち」への愛を奨励するイエスが、愛無き格差社会を是認するわけはないのである。文脈からイエスの意図を悟らなければならない。そうでないとこの箇所を理由に世界や教会の著しい格差を正当化しかねない。



1.信仰におけるタラントの法則:

「富める者はますます富む」というのは、信仰の世界にも存在する法則である。これを「信仰におけるタラントの法則」と名付けたい。特に賜物の活用に合致する。賜物とはプレゼントの意味だが、主からいただいた霊的な資産である。主から与えられた使命を果たすための力とも言える。したがって、自分も賜物をいただいていると信じて、その賜物を用いればますますその賜物が豊かにされ、他の賜物も増す。逆に賜物を用いなければますますその賜物が貧しくされ、他の賜物も減る。これが「信仰におけるタラントの法則」である。

 イエスは賜物をタラントにたとえる。タラント転じて後のタレントである。タレントとは「能力のある人」という意味である(だがくだらない芸能人をタレントというのは誤用の極み)。タラントとは当時の貨幣の単位で、6000デナリ。1デナリは労働者の日給相当額。とすれば1タラントはざっと20年分の年収に匹敵する。最初の人には年収100年分相当額。次の人には年収40年分相当額。最後の人にも年収20年分相当額が与えられる。巨万の富である。これはどんなに賜物が少ない人でも神はこれほど豊かに惜しみなく与えてくださっているということである。「自分には賜物が少ない」というのは、自分をも神をも誤解している。そして感謝の足りない人だ。そしてそれは神に対する冒涜とさえ言える。

 あなたは自分に与えられている賜物を土の中に隠していないだろうか。それでは主に喜ばれない。主は私達に素晴らしい霊的資質を与えてくださっている。そのことを感謝と信仰をもって受け止めようではないか。そしてそれを大いに活用しよう。そして主のお役に立てる喜びを味わおうではないか。

2.賜物の活用:

@自分に賜物が与えられていることを、素直に、肯定的に受け止めよう。A自分に与えられている賜物の価値に気付くべき。B賜物は生かしてこそ意味がある。どんなに良いものを持っていても用いなければ宝の持ち腐れである。C賜物は磨け。最初は原石である。賜物を生かすには、不断の努力と実践が欠かせない。D必要に応じて賜物は開花し、賜物の種類も増える。E遠慮や引っ込み思案は、謙遜ではなく、臆病と怠慢と不信仰である。F賜物をもって奉仕する目的は、ただ神の栄光を表すため、そして互いや隣人の徳を高めるためである。G自分の栄誉や自分を喜ばせるために賜物を用いるのは、かえって害となる。H主は一人ひとりに異なる賜物を与えている。その多様性を認めよう。I自分の賜物を人と比較するな。また人を妬むな。J自分に無いものをひがむな。自分にあるものを喜べ。他人の働きも喜べ。K高慢、優越感、虚栄心を捨てよ。L自己卑下、劣等感、自意識過剰を拭い去れ。人を意識しすぎるな。M人から誉められようと誉められなかろうと、賜物の素晴らしさは変わらない。N主は私達を信頼している。主に信頼される人は幸いである。O失敗を恐れない。失敗は致命的でも回復不可能でもない。十字架と復活がそれを保証している。P主はいつでもどんなときでも私達を受け入れてくださる。認めてくださる。Q私達には主がついている。主は惜しみなく力を与えてくださる。主によって「自分もできる」と信ぜよ。R主は私達を用いてくださる。S主に仕えることを人生の最大の喜びとせよ。それこそキリスト者の生きる使命である。
posted by 管理人 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 礼拝説教 | 更新情報をチェックする
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