2008年11月22日

天国の話(2008.11.2永眠者記念礼拝)

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル11:13〜16)
 人はどこから来てどこに行くのか。

 人生の終わりの行き先を確かにしている人は、この世の人生もしっかりと歩むことが出来るでしょう。私たちは神によって造られました。ひとたびは神を信じられず神から離れてしまいましたが、主イエス・キリストによって私たちは神の民、神の子どもとされ、神のもとに帰ることができるようになりました。天国とは私達神の民の本当の故郷であり、帰るべきところなのです。天国へは、死ねば誰でも自動的に行けるとは聖書は言いません。また天国は、何か良いことをしたその報酬として行けるとも聖書は言っておりません。ただ神様の一方的な恵みによるのです。神の恵みを信頼し、神にすべての罪を赦していただけることを信じ、神にすべてを委ねて、神の招きに応じて歩む者は誰でも天国に行くことが約束されているのです。森繁昇という人の歌に、「どんな人でもイエス様信じりゃ天国人」とありますが、まさにその通りです。

 天国はどんなところでしょうね。皆さんは天国についてどのようなイメージを持たれますか。お花畑、きれいな庭と立派な門のある白い家、宝石がちりばめられた建物。しかしこの世にある素材で天国を描写しても陳腐なだけです。一方地獄は比較的イメージしやすいのかもしれません。それだけこの世には地獄を連想させるものが多いのかもしれません。逆に天国を連想させるものがこの世には乏しいのかもしれません。天国のイメージというのはどの宗教でも大概似通っています。人間の想像力が貧困なのでしょうか。というよりも私達にとって天国とは未知の世界です。未知の世界を既存の世界の素材を用いて表現しようとしてもできないのです。出来ないものをなんとか表現しようとしているわけです。私たちにとって天国は憧れであってよいと思います。いまだ見たことも聞いたこともない、言葉では言い表せないほど、この上もない素晴らしい世界として抱くことでよいと思います。

 そもそも「天国」とは「御国」とも「神の国」ともいい、神様の統治、支配を言います。そして天国とは神の支配が完全なところです。そこには悪も悲しみもありません。ですから天国がどのようなところであるかを理解したければ、この地上の楽園を想像するのではなく、神様と共にいるということがどういうことであるのかを想像すればよいのです。なぜなら神様と共にいることが神の国だからです。そしてこの地上でも、神様と共にいることを経験できます。ですから神様との交わり、また神様を信じる者たちとの交わりが地上でもあるなら、そこはすでに天国の一部分であるとも言えるのです。ある意味で天国のイメージは物質的にではなく、人格的なものとして表現できます。そこには愛があり、赦しがあり、感謝があり、信頼があり、希望があります。そういう意味で、主を中心とした麗しい交わりは地上にあるなら、そこは天国の入り口とも言えるでしょう。教会の交わりがそうであるようにと願います。

 ヘブル書にあるとおり、天国こそ私たちの帰るべき本当の故郷です。本当に帰るべきところを持っている人は幸いです。そこでは主イエスが待っています。そして主にあって先に召された仲間達が待っていることでしょう。主と主にある仲間達との再会の希望があります。天国こそ私たちの帰るべき本当の故郷であるなら、この地上では旅人のようなものです。『かみさまってどこにいるの?』(エイザベス・リドル著)という絵本があります。ピッピという男の子がお母さんに神様のことや天国のことを質問するというお話です。その中でピッピという男の子が「きっとここで、ぼくたちは、じつはキャンプをしているんだよ。天国のほうがおうちなんだね。」と言いますが、そのとおりだと思います。

 もし私たちが本当の故郷である天国を望み、この地上は仮住まいであると信じるなら、この地上のことを絶対視しなくなるはずです。地上のことはいつかは手放さなくてはなりません。ですから地上の歩みは神様に委ねられたらいいですね。また地上的な約束は最終的な約束ではありません。むしろ地上の約束は、天国の約束に対する方便であるとも言えます。それは私たちが神様と天国を想起するために、私達が希望を捨てないための、神様の知恵です。ですから地上の約束は約束としてそれが人生のすべてだとは思わず、また地上の約束がたとえ不完全であったとしても、むしろ天国の約束へと結び付けたいものです。そして限られた地上の歩みの最後まで神様を信じて、精一杯生きられたら素晴らしいですね。
posted by 管理人 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 礼拝説教 | 更新情報をチェックする
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